第5世代阪井占星術研究所

02025年仕様に向けてこりずにリライト中。

そもそもの源流はどこに?

運命学的性格類型論のそもそもの始まりって?

最近とある団体がうだうだ言い始めたので、12年ぶりにこのネタを発動させます。2000年頃に「性格類型論研究室」を管理して以来調査・研究を続けてきた成果の一端をここに公開することにします。

ただ、本業の合間を縫って書くので少し歯抜け状態にはなりますがご容赦を。

では、まず「運命学的性格類型論」の始まりについて論じてみましょう。

なお、このシリーズで書く「運命学的性格類型論」は四柱推命的には生日観法と呼ばれる、「生日干支十二運を中心にその人の性格を判断する技法群」を指すものとします。

その前に話しておくべきこと

日本生まれの占いは数が少ない。

そもそも純粋日本産の占いって本当に数が少ないんですよ。

私が知っている範囲内では、本当に日本オリジナルと言い切れるものはマリーオリギンさんの八星占術と川原甠人さん→宮本青枝さんの骰子易占くらいでしょうか。あと佐々木盛夫さんに端を発する姓名判断も入りますね。

それ以外のロジックは、すべて原産地が中国だったりバビロニアだったりインドだったりヨーロッパ諸国だったりするわけで。たいてい既存ロジックをそのまま継承したり、自分なりに研究して改良したりするわけです。

「正統継承者」はたいてい「正統」に継承していない(ことが多い)

まぁ、アレですよ。
世に言う「正統継承者」ってたいていが頭に「自称」をつけた方がいいケースが多いんですな。
みなさん気づいているかもしれませんが。
もちろん、たとえば拝師式をきちんとやった証拠写真とかがあれば話は別ですよ。それは「正統継承者であることを証明する第一次資料」ですからね。

誰とは言いませんが、とある奇門遁甲の正統継承者さんがいるんですが、その人の書いた本に書かれている奇門遁甲の盤が四半期ごとに出版されている(いた?)透派奇門遁甲の本のフォーマットと全く同じだったりするわけですよ。あと天地剋応しか見ていなかったり。奇門遁甲なのに八門はどこに行ったのよ、といま振り返ってみれば感じます。

ちょっとだけ先回りして書くと、今回のテーマになる人には本当の「正統継承者」が2人いました。過去形なのは両方とも故人なためなのですが、そのうちのひとりが山口荘令さんでした。で、もうひとりは彼の共同研究者(実はいたんだな、これが)。その流れはいまとあるところに引き継がれています。そして、私が習ったのはそのルートです(諸事情によりいまはあまり使っていませんが)。

そのことについてはこれから少しずつ述べていきますが、本当の意味での「始まり」はもっと前=明治時代にまでさかのぼれます。その意味でも、「中興の祖」ではあっても「開祖」ではないんですね。

では、これから「運命学的性格類型論の歴史」を少しずつひもといていきましょう。その先には、驚くべき世界が待っている、はずです。

で、そもそもの始まりは?

たどってみたら明治時代にまでさかのぼりました。

国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で見ることができますが、松本義亮さんの四柱推命奥義秘伝録第3巻pp.8-16(1906年=明治39年!)に、「十二運の解」として生日干支十二運別の運命模様が記載されています。また、阿部泰山さんの四柱推命学大奥極秘伝第4巻pp.3-17(1915年)にも同様の記述が見られます。

ということは、運命学的性格類型論の本当の意味でのスタートは四柱推命の生日観法であり、だいたい1910年前後にまでさかのぼることができる、と言えるのではないでしょうか。

ただ、ここから2方向に流れは分かれます。ひとつは四柱推命の一領域としての生日観法。もうひとつは四柱推命を理論的根拠においた性格類型論。

前者は私が知る範囲内では、安田靖さんの系譜―現在の五行推命学研究会―へつながります。ただ、ネットを検索してみたところでは中国本土や台湾でも使われている技法でもあるようです。ただ、生日干支に判断の基礎を置くところは後者とは大きく異なるようですが。

「運命学的性格類型論」の誕生(とその成立過程)

実は、明確に「いつ現在のかたちのような運命学的性格類型論が成立したか」に対する明確な答えはいまの私は持っていません。ただ、記憶が間違っていなければ少なくとも1950年代前半にまではさかのぼれるはずです。というのも、増永篤彦さんの『新推命学』の初版が確かそのあたりだったからです。その時点では基運というかたちで性格類型を表現していましたが、いまのような体系だった形式ではありませんでした。

その一方で1972年に『生まれ日占星術 個性学入門』を出版します。そのことにより「増永篤彦さんは60分類を体系化した」とされていますが、その一方で誠信書房から2冊の性格類型(タイプ論)に関する本が1961~1963年に出版されました。ただ、それと四柱推命の関係性は「長年の謎」でした。

それを解く鍵が見つかったのは、本当に偶然でした。
私が通っていた姓名判断の学校のカリキュラムの中に「四柱推命と姓名判断」の回があって、そこで増永篤彦さんのタイプ論と四柱推命の生日干支十二運をリンクさせた講義を受けたことで一気にミッシングリンクが解けました。

いまでこそ(言い方は悪いですが)ひっそりと活動を続けているようですが、その学校は戦前は運命学研究団体として非常に有名なところで、私の中では関西の阿部泰山さん・関東の高木乗さん(命理学会)と並ぶ第三極的位置づけで考えています。

で、なぜそこに伝わっていたかというと実は「彼の共同研究者がそこにいたから」と私は聞いています。記憶が間違ってなければいまは4代目が活動しているはずですが、2代目の師匠に当たる人と共同で生日干支十二運と性格タイプを連携させる研究を行っていたようです。

もっとも、ネットを検索してみると関西地方にお弟子さんだった方がいらっしゃるようなので、もしかしたらこのミッシングリンクを知っている方は100人単位でいるのでは、と思います(姓名判断の学校受講生や山口荘令さんのお弟子さん、そして直接習った方の合計の推定)。

それはさておき、(これを書いていいかどうか審議中)