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2010年11月 7日
『もしドラ』がはやってるそうですが
もしかしたら伝言ゲームで最初と最後で意図が大きくずれる現象が発生してない? ということを、運命学的性格類型論の立場で考えてみた、というお話。
経営学や帝王学の本を読んで実行に移すときには、注意しないといけないことがいくつかあります。
それは、
- 理論構築者の性格・方法論と解説者の性格・方法論が違う。
- 解説者の性格・方法論と読者(上司)の性格・方法論が違う。
- 読者(上司)の性格・方法論と部下の性格・方法論が違う。
というあまりにも当たり前なこと。
『もしドラ』のもとネタであるドラッカーさんは1909年11月19日生まれ。で、ドラッカーさんがいくら冷静に、私情を捨てて世の中を分析しても「1909年11月19日生まれの私の性格・方法論」というフィルタで世界を見ています。
同様に、翻訳者である上田惇生さんや『もしドラ』著者である岩崎夏海さんにも「生年月日から導かれる性格・方法論」があるので、無意識のうちにそのフィルターを通してドラッカーさんの著作を読むことになります(すいません、生年月日調べきれませんでした)。
さらに、読者さんにももちろん生年月日はあるのですから、翻訳本や『もしドラ』を「自分の生年月日から導かれる性格・方法論」というフィルターを通して読むことになるわけです。......伝言ゲームの成立です。
で、それを読んで部下に対応しようとしたときに、はたしてドラッカーさんの100%理論通りに対応できているでしょうか?
おそらくそんなことはないでしょう、というか絶対にあり得ません。
まして、上司は自分の「方法論」通りに人を動かしたい傾向があるようで、部下が思いどおりに動かないからってキレている現場を何度もみたのですが、それは本末転倒の話。部下にも部下なり性格や方法論がある、という重要な事実を忘れていませんか? 部下に動いてほしいなら、部下の心(潜在意識)に伝わるように言葉を選んで説明してあげる必要があるのです。それが上司の役目なのではないでしょうか?
この手の本を読むときは、「自分と性格タイプが似ている人が書いた本を読むといいよ」とよく師匠に言われたのですがまさにその通りで、フィルターによる誤差を少なくできる=伝言ゲームのミスをなくすことにつながるわけです。
じゃこの手の本を読んで応用するときはどうすればいいの? という質問が来そうですが、答えは簡単で、本で読んだことを相手が理解できるように再構築したものを実践させること。これは当然自分自身に対しても言えることで、いくら本で読んでやってみても自分の性格や方法論に合ってなければ逆効果にしかならないわけで。
だから、上司が最初にやるべきことは部下の性格やメンタリティをとことん読み込むことだと思うのは私だけ?
投稿者:astsakai 2010年11月 7日 21:16